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HISTORY受け継がれる技

1960年 鳥津蒲鉾店創業

1960年 鳥津蒲鉾店創業

1950年代当時、私の両親の時代は、ベビーブームや日本の経済成長の時代のおかげで、八幡浜市内の水産加工食品業界がとても華やかな時代でありました。そんな時代背景もあり私の父であり先代の鳥津良雄と母、君子は学校を卒業すると、それぞれ八幡浜市内の別の蒲鉾屋に就職しました。

良雄は就職すると天性のこだわりと妥協をしない性格が活かされ、職人としての腕をあげていきました。
そして独立の夢が自分の中で膨らんでいたそんなとき。道を挟んで向かい合う距離にいた父と母は偶然出会い、結婚し二人は独立しました。そして1960年、小さな「鳥津蒲鉾店」が四国愛媛県八幡浜市に生まれました。

創業当初、手元には少しばかりのお金と茶碗と箸があっただけでした。魚を仕入れるためのお金は花札で稼いでいたと母から聞いたのは私が10歳の時でした。私が小学生の時、同級生はみんな将来、パイロットなどと言っているときに、すでに私は蒲鉾屋になりたいと言っていました。 それを今振り返ってみると、仕事仕事でなかなか私と遊んでくれなかった父と母ですが、 自分たちがこだわり美味しい物をつくって提供し、お客様に喜んでもらっている父や母の姿に、 小さかった私なりにこの仕事に対する誇りや、喜びを感じられたからではないかと思っています。

二代目 じゃこ天への純粋な想い

二代目 じゃこ天への純粋な想い

その後私は福岡の大学に進学、そして卒業の年になっても、蒲鉾屋の仕事を継ぐという小さい頃からの夢は、 少しも色あせることはなく、まっ先にこの大好きな故郷四国愛媛八幡浜市に帰ってきました。
そして物を作ることの楽しさ、美味しいものを食べる喜び、そして人との出会い、社会人として親父を手伝うこと、自分にはすべてが新鮮でした。
しかし、物産展で初めて行った東京のデパートでの出来事で、私に大きな転機が訪れました。
それは、私の作っている瀬戸内ではあたりまえな「じゃこ天」の、圧倒的な知名度の低さでした。
「じゃこ天」は全国のだれしも知っているものだと思っていましたが、現実は全然違ってたのです。
誰も知りません。大げさにいえば、じゃこ天を生業にしてきた自分たちにとって、存在の歴史に空洞ができたような気持ちになりました。

そしてその時に私は自分に誓いました。美味いこだわりのこの「じゃこ天」を全国に広めようと。

50年目の夢

50年目の夢

それからというもの紹介の機会があるごとに私は、北は北海道の函館、南は沖縄の南風原、海外はシンガポールまで、じゃこ天を作りに出かけ、瀬戸内の食文化を紹介してきました。

そしてそれはこれからも末永く続けていきたいと考えております。
私は現在、先代の父の時のように、私たちが作ったじゃこ天を食べて頂けた、全国のお客様が「おいしい」と言って喜んでいただける、そんな食づくりをしたいと考え、日夜、仕入れから製造、出荷までを私が責任を持って取り組ませて頂いております。

この出会いを機会に、そんな男の魂がつくった「瀬戸内の食じゃこ天」に食の機会を頂けたなら幸いです。

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